「一巻の終わり」という言葉があります。
すべてが終わる、という意味で使われますが、ふと、「あれ?一巻が終わると、フツーは二巻が始まるので、すべてが終わるというのはちょっと違うんじゃない?」と疑問に思ってしまいました。
調べてみたら、へ〜そうなんだ!の連続だったので、皆さんにもシェアします!
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「一巻の終わり」の意味
まずは「一巻の終わり」の意味をおさらいしておきましょう。
辞書によれば、一巻の終わりは「物事の結末が決まってしまうこと」「死ぬこと」「すでに手遅れであること」という意味があります。
例えば、
「入試に失敗した。俺の人生は一巻の終わりだ」
「ここで足を滑らせて落ちたら一巻の終わりだ」
なとという形で使われます。
どちらかというとネガティブな表現で使われることが多いですかね。
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「一巻の終わり」の次に二巻はあるのか?
ここで素朴な疑問。
一巻が終わると、二巻が始まるのでしょうか?
そこで、「一巻の終わり」の語源を調べたところ、一巻が終わると、二巻は始まらないことが分かりました。
なぜでしょうか?
解説していきますね。
「一巻の終わり」という言葉、もともとは、活動写真(昔の映画のこと)の頃に活躍した活動弁士の締めの言葉から来ているのだそうです。
昔の映画は、今のようなデジタル形式ではなく、フィルムでまわしながら映写する方式。
このため、当時、映画は一巻、二巻と数えられていました。
基本的には一つの映画は一巻に納められているので、活動弁士は映画が終わるとき、「一巻の終わり」と言って話を締めるようになり、それが一般に流行っていったのです。
この語源からすれば、二本同時上映などの場合は、二巻が始まるとも言えますが(笑)、それでもこの言葉を「物事の終わり」という意味で使うとすれば、二巻は始まらないと考えるべきなのでしょう。
ところで、活動弁士という職業、聞いたことのない人も多いのではないでしょうか。
ついでに解説しておきますね♪
初期の頃の映画は、活動写真とも呼ばれ、音がありませんでした。
このため、映画の内容を語りで表現して解説する人が必要とされたのです。
この職業を活動弁士と呼びました。
活動弁士は、映画館の舞台上で斜めに座り、奥のスクリーンと観客席を交互に見ながら、上映中に進行にあわせて解説を行いました。
当時は多くの活動弁士が活躍し、人気弁士も登場しましたが、後に技術が発達し、映画に音が加わるようになると、活動弁士のニーズは急速に小さくなっていきます。
このため、活動弁士たちは漫談や紙芝居師、司会者などに転身していきました。
初めて活動弁士が登場したのは1896年(明治29年)とのことですから、実に100年以上前の頃のことになります。
私も含めて知らない人が多いのもうなずけますね。
まとめ
いかがでしたか?
「一巻の終わり」という言葉にまつわる疑問や活動弁士について解説しました。
まさに「言葉に歴史あり」ですね〜面白いです!
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