仏事のつとめ方は宗派によりさまざま。
ここでは、浄土真宗におけるお彼岸とお盆のつとめ方について、私の経験もふまえながらご紹介します!
浄土真宗の四十九日法要はどうすればよい?浄土真宗における法要のつとめかた
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お彼岸のつとめ方
まずはお彼岸について。
お彼岸は、正式には「彼岸会(ひがんえ)」と呼びます。
春分の日(3月20日か21日)と秋分の日(9月22日か23日)を中心とする前後3日間の計7日間のことを指します。
彼岸の入り(初め)には、前日の夕に勤行(仏壇の前でお経を読むこと)をした後、仏壇に季節の花や野菜、くだもの、団子、ぼたもち(おはぎ)を供えます。
正式には、仏壇に打敷(仏事の際に卓にかける布のこと)をかけ、お華束(けそく)(仏事に用いる餅でできた装飾品のこと)を備えるとされますが、一般家庭ではそこまでは求められません。私の家でももちろんやれていません(泣)
花は、季節の花を挿します。春ならば彼岸桜、桃、連翹(れんぎょう)など、秋なら日車草や萩、桔梗(ききょう)などがよいでしょう。
くだものも季節のものが良いです。
ちなみに、ぼたもちとおはぎは同じもので、牡丹の花が咲く春には「ぼたもち」と、萩の咲く秋には「おはぎ」と、呼び方が違うだけです。
なお、輪灯には瓔珞(ようらく)(仏事に用いる金色の吊り下げ式装飾品)は釣りません。
お彼岸の期間中における朝夕のおつとめは、特別な定めはありませんが、特に初日・中日・最後の日の3日は、ろうそくを立て、焼香をして丁寧に行うとされます。
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お彼岸(彼岸会)の由来
彼岸とは、仏教の原語では「パーラミタ」、訳して到彼岸(とうひがん)という意味があります。
此(こ)の岸(此岸(しがん))から彼(か)の岸(彼岸)に渡る、ということです。
私たちが生きている煩悩(ぼんのう、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)のこと)にあふれたこの世界を「此岸」と言い、煩悩や欲から解放された仏の世界のことを「彼岸」と言います。
通常、仏門信者であれば、彼岸へ至ろうとする修行は365日休まずに行わなければいけません。
しかし、それは大変なので、せめて気候のよい春と秋だけでも修行しようということになりました。
また、彼岸が次第に「あの世」と誤解され、あの世へ行った人たちを供養することが修行であるとして、この時期にお墓参りをすることになった、と言われています。
春分と秋分の日は「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように気候が良く、また、この日は太陽が真東から昇って真西(=西方浄土があるとされる)に沈むことからも、仏の修行に励むには良い時期とされました。
盂蘭盆会(お盆)について
お盆は正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言います。
地方によって異なりますが、かつては太陰暦の7月13日から16日までの4日間、現在は太陽暦の8月15日を中心とした期間に行われます。
盂蘭盆会とは、梵語の「ウルランバナ」の音写で、「木に逆さまにかけられている」という意味を表し、非常な苦痛を意味します。
かつて釈迦の弟子である目連が、餓鬼道に堕ちて逆さ吊りの苦しみを受けていた母を救ったという伝説が行事となったものと言われており、父母や祖先を追憶し、これに孝養を尽くすということが、お盆の本来の主旨とされます。
さて、お盆といえば、迎え火や送り火、キュウリやナスの飾り物などのイメージがありますが、浄土真宗はそういったことは一切行いません。
お盆のおつとめの仕方としては以下のとおりとされます。
(一応正式なものですが、お彼岸同様、一般家庭で行うのは難しいものも含まれていますので、無理しなくても良いでしょう。)
お盆を迎える前日になったら、仏壇を掃除し、代々の法名軸をすべて仏壇に掛けます。
上卓と前卓の間に打敷を飾ります。蓮の模様などを型どったものがお盆にふさわしいとされます。
仏壇にお供えするお花は「槇(まき)」の木に蓮のつぼみ、巻き葉等を添え、季節の花を挿し交ぜにして立てます。
また、仏壇の前に「切籠(きりこ)(切籠灯篭とも言う、上部が八角形の火袋になっていて、造花や紙・布で作った灯篭のこと)」を飾ります。
おつとめの時、袋の内側に灯油またはろうそくであかりを灯します。
なお、お盆の風習は地域によってかなり違うので、不明な点があれば菩提寺の住職に遠慮なく尋ねるのが一番です。
まとめ
いかがでしたか?
浄土真宗におけるお彼岸とお盆のおつとめ方についてご紹介しました。
迷信や華美な装飾を好まない浄土真宗ですが、それでも一定のやり方があることをご理解いただけたのではないでしょうか。
もっとも、あまり形式にとらわれずに、ご先祖様に思いを致し、恩に感謝する気持ちを一番大切にしたいものですね。
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