毎年6月の第3日曜日は父の日です。
今年2018年の父の日は6月17日(日)です。
毎年、父の日のプレゼントを何にするか迷いませんか?
もちろん気持ちを形にして表すことも大事ですが、父の日の意外な歴史を知れば、プレゼントよりも大事なものがあることにきっと気づくはず。
今日は歴史に翻弄され続けた父の日の歴史をご紹介します!
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父の日の歴史
父親を礼賛する最古の習慣は、今から数千年前にさかのぼります。
約4000年前にバビロンで、子が父親の長生きと健康を願うメッセージを粘土製のカードに刻んだことが分かっています。
いくつかの国は、この習慣を父の日を採用するきっかけとしていると言われています。
一方で、現在の父の日は、母の日と同様にアメリカで始まったと言われています。
(参考)なぜ母の日はカーネーションを贈るの?そこには母の日の驚くべき歴史が!
1909年、ワシントン州スポケーンに住むソノーラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)という女性が、6人の子ども達を男手一つで育て上げた父親を讃えるため、母の日にヒントを得て「父の日」を設けることを思いつきました。
彼女は、地元の教会やYMCA、商店、政府関係者に対し、父の日を支持するよう働き掛けました。
彼女のアイデアは支持を集め、その翌年の1910年6月19日にはワシントン州でアメリカ初となる父の日の祝典が開かれます。
そして、父の日は全米にゆっくりと広まっていきました。
1916年にはウィルソン大統領がスポケーンで父の日を讃える演説を行い、1924年にはカルビン大統領が全米に対して父の日の導入を呼びかけます。
さて、当時は父の日を感傷的かつ商業的なものにすぎないとあざ笑う男性たちも多くいまいた。
また、1920年代から1930年代にかけ、父の日と母の日を同じ日にしようという動きも見られました。
一方で、1919年に起きた大恐慌は、記念日を商業的に利用しようとする動きを加速させ、両親の日を合体させようという動きをにぶらせてしまいます。
そしてこの頃から、父の日は「セカンドクリスマス」と呼ばれ、ネクタイ、帽子、靴下、パイプ、タバコ、ゴルフクラブなどのスポーツ用品、グリーティングカードなどあらゆる商品の販売が促進されるようになります。
そして、第二次世界大戦が始まると、父の日は軍隊を讃えるとともに戦争を正当化する方法であると見なされるようになり、父の日の国家的な意義が急速に高まりました。
1966年、ジョンソン大統領は父の日を称賛する大統領告示を発出し、6月の第3日曜日を父の日に定めました。
歴史の波に翻弄され続けた父の日。1972年にニクソン大統領が父の日を国民の日とする法律に署名し、ようやくその位置付けが定まることになったのです。
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父の日の花
ところで、父の日の花はバラとされています。
これは、前出のソノーラ・スマート・ドッドが、父の日に墓前に白いバラを供えたことが始まりとされています。
現在、多くの国では父の日にバラを身につけますが、父親が生きていれば赤いバラを、死んでいれば白いバラを身につける習慣が広まっています。
日本における父の日
日本における父の日の歴史は浅く、1950年頃から行われ始めたといわれています。
商業的なプロモーションの一環で広がり、1980年代には全国的に浸透するようになりました。
母の日が大正時代には行われていたことに比べると、かなり遅いですね(泣)。
まとめ
いかがでしたか?
父の日は歴史とともに位置付けが変遷してきました。
現在の商業的な利用はある程度仕方ないとしても、白いバラの花はこれからも、ソノーラ・スマート・ドッドが込めた父親への感謝の思いを思い起こさせてくれることでしょう。
あ、お父さんに白いバラを贈ることは要注意!
お父さんに恨みがある方は別ですが(笑)
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