ルペルカリアが聖バレンタインデーに
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時は過ぎ、紀元3世紀頃。
ローマ帝国の皇帝クラウディウス2世は、男性は独身のほうがより強い兵になると考え、
結婚を禁じるお触れを出しました。
時の司教バレンタイン卿は、この法律に異を唱え、その命に背いて秘密裏に若者たちの結婚を手伝いました。
バレンタイン卿の行動は皇帝の知るところとなり、皇帝はバレンタインを処刑するよう命じます。
この辺には諸説あるようで、バレンタイン卿がキリスト教徒らが頻繁に殴られ拷問された過酷な刑務所から脱獄するのを手助けしたために処刑を命じられた、とも言われています。
とにかくバレンタイン卿は捕らわれの身となります。
投獄されたバレンタイン卿は、投獄中に彼の看守をしていた男の娘に恋をし、ラブレターを送ります。
これが史上初の「バレンタイン・カード」と言われ、今日、この話がバレンタインデーの起源として多く引用されているのです。
バレンタインにまつわる伝説は多く、真相は闇の中ですが、どの伝説においてもバレンタイン卿は英雄的かつロマンチックな人物として伝えられており、ヨーロッパで最も人気のある聖人の一人と見なされているようです。
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バレンタインデーが愛と結びつく
紀元496年、ローマ教皇グラシウス1世は、ルペルカリア祭が風紀を乱していると考え、これを廃止してキリスト教の祭典に改めるとともに、聖バレンタイン卿の殉職にちなんで2月14日をバレンタインデーとしました。
一方で、中世の頃、フランスとイギリスでは2月14日が鳥の繁殖期の始まりと考えられており、そこからバレンタイン・デーが愛と結びつく考え方が生まれてきた、とも言われています。
バレンタインの際に愛を伝える習慣は、こうして中世の頃から行われるようになりましたが、現存するバレンタイン・デーにまつわる愛情表現の資料は、1400年頃にさかのぼります。
今日残る最も古いバレンタインの愛の詩は、1415年にオルレアン公チャールズが妻に贈った詩とも、イングランドの詩人ジェフリー・チョーサーが1381年にイングランドのリチャード2世とボヘミアのアンについて書いた詩だとも言われています。
お!バレンタインデーがだんだんとロマンチックになってきましたよ♪
(その3に続く)
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